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100をベースに考えるひと 0をベースに考えるひと

2009 11 05
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photo nagshebardar_jj

幸福に限りがあるかどうかを考えた。
どんなお金持ちでも、総理大臣でも、天皇陛下でも、完全な幸福ではない。
完全な幸福を持つ者は生きる目的を失い、それは必ずしも幸福ではなかろう。
人は幸福を求めるからこそ生きていける。
たぶん完全な幸福が待っている「天国」なんてところがあれば不幸だろう。

だから僕たちの「幸福ゲージ」ってのがあったら、絶対に満タンにならない。
のではないか。


不幸には限りがあるだろうか。
四苦を「生老病死」と言うように、生きることすなわち苦であるという考えもある。
それ以外にもまだまだ苦があるという。
愛するものと離れなければならないと言っては苦しみ
嫌なやつと会わないといけないと言っては苦しみ
欲しいものが得られないと苦しみ
とにかく、なんかヤダとか言って苦しむ。

たぶん、どんな人でも。
何かの不幸を克服した後でも苦しみはある。
不幸に不幸が重なってくることもある。
その上にさらなる不幸が覆いかぶさることもあるかもしれん。
自分より不幸な人はほとんどの場合でいるし。

多分、これ以上不幸にはなりません!パンパカパーン!
そんなあなたがベストオブベスト不幸!なんていう
不幸ゲージ100点満点の人も居ないのではないだろうか。


で、あるなら。

自分の人生の一部だけをあげつらって「オレは不幸だ」「私は幸せよ」とか。
そんなことを考えるのは時間の無駄遣いなのかもな。

そもそも人間の幸福ゲージも不幸ゲージも
0にも100にもなり得ないのだから。

100から見下ろすと自分は低く見え、0から見上げると高く見えるかもしれん。
幸福ゲージを0から見上げ、不幸ゲージを100から見下ろすようにしよう。

両方とも満タンじゃないところに身をおいているのを自覚する。
それがオレちゃん♪と飲み込めばいい。

それが出来るようになったらだいぶ超然と生きていける気がする。

ということを考えたがヒマそうに見えるだろうか
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