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お寺で気になるパンフレットを発見しました

2009 04 20
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IMG_4077.jpg

こちらもちょっと前の話。4月8日の花祭りの日です。
お釈迦様に甘茶をかける習慣から「灌仏会(かんぶつえ)」とも言いますね。

僕がお世話になっているお寺、黒木町の専勝寺では、「釈迦誕生像」が白象の上に飾られ、幼稚園のみんながパレードしてお祝いをします。

今年度から幼稚園の後援会長、という役職をさせていただいているので、その関係と、写真屋さんとしてもお仕事があってあまり役員としては役に立たなかったのですが。

お釈迦様がお母さんである摩耶夫人の右脇から誕生され、すぐに7歩だったか歩いて「天上天下唯我独尊」と仰った、という話は有名です。

天上天下唯我独尊
というのはえらく不遜な話だよなと思っちゃいがちなのですが、

「私(釈迦)が他でもなくただ一人尊いのだ」
という意味ではなくて、
私も尊いし、あなたも尊い。人は、命はみな尊いのだよ。
というみ教えである、という話を伺いました。

まぁ考え方ですw

その後、勤行とお伽があり、お寺の中をうろうろしていたらちょっと気になるものを発見したのですよ。

↓続きます
IMG_4081.jpg
それが、このパンフレット。
どうも浄土真宗(大谷派?)は朱印に何やら抵抗があるようなのです。

朱印といえば、僕がこっそり趣味にしているお寺のお参り証明書みたいなもの。
去年のお正月にバッグを盗まれてしまい、その後はいろいろと忙しかったこともあって、新調した御朱印帳にはほんの少ししか持ってませんけど。

なんでまた朱印はダメなのでしょうか。

IMG_4080.jpg
読みにくいかとは思うのですが。

朱印を押す、というのは一つクリア、みたいな意識が出来てしまう、と。
一度もらえばもういいや、という意識に繋がりやしないか、と。
必要なことは、お寺に行った、という達成感などではなく、仏様のみ教えを聞き続ける姿勢である。

というようなことでしょうか。

ふむ。
確かに88ヶ所、33ヶ所などの霊場めぐりを行っているお寺で、真宗のお寺はほとんど無いと思いますし、何より真宗は絶対他力のみ教えなので修行を経て菩薩道を歩む、というみ教えとは相容れないというのはまぁわかります。書いてあることもわからんではないのですが…

今ひとつ論理の整合性が欠けてるようにも思えます。

教えを聞き続ける姿勢が大事であることは否定しませんよ。けど、とりあえず朱印を頂戴したからといってこの寺にはもう来なくていい、というのも決め付けすぎな感がありますよね。

仏さまとの御縁、というものは、いろんなところにころがっているものだと思います。
僕のように、どちらかというと御朱印を頂いたり、他の御宗旨のお寺にお参りしたり、般若心経を真似事ながらお唱えしたりすることが先にあって、自分のお寺の教えである真宗のみ教えを思い出したかのように考えることもあったわけですしね。その経験が無ければ今もろくろくお寺のことなんか考えなかったとも思いますしね。

真宗の学者の先生方のお考えとはまた違うのかもしれませんが、僕はいろんなお寺でいろんなお坊さんの考え方を聞くのはいまも好きですし、真宗には無い、いろんな仏様の性格付けやら、本来的な信仰の形とは別の、後から民間信仰の中で付随してきた挿話やら逸話なんてのも、相変わらず面白いなぁ、と思っているので、御朱印が頂けるお寺では(僕の場合は単なる記念スタンプみたいなもんですけどね)頂けるなら頂きたいもんだなぁ、と思います。

なので、他でやってるから真宗のお寺でも朱印をしてくれ、とは申しません。
特段目くじらたてて朱印はダメヨと言う必要もなかろうよ、と思いました。

最低限でも御本尊に心を込めてお参りし、単なるスタンプラリーにならないように礼を尽くした上で参拝させていただいた記念として持つのであれば悪い趣味ではないと思うんですがイカンですかねぇ。

ここんとこ忙しくて、大宰府にある観世音寺の御朱印ばかり増えそうです。

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