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日本の教育機関で宗教を教えるのはいけないことなのか

2008 07 02
080701.jpg
写真はこないだ拾った画像で十一面観音様の頭蓋骨(<不謹慎)

政教分離、とか言われるわけで、政治に特定の宗教が絡んだらマズイのは感覚的にはわかる。
しかし、教育においてはどうだろう?

八百万の神の日本において、宗教から一切切り離されて育つ子供(僕もそうだったわけだが)
というのもなんとも不気味な存在だなぁ、と今になって考えてるわけで。

日本のモラルが全て仏教やら神道やらに起因するとか言うつもりはないけど、大人が子供に
宗教のことが語れるほどのリテラシーが無くなっていることもけっこう重大な問題なんじゃないの?
と思う。

昔の人は意味も無く神を畏れ、仏にすがって生きてこられた。今は科学で証明できないものは
信じてもしょうがない、みたいな考えの人も多かろう。父ちゃんもそうだから子供もそんなもんだ。
僕も仏教の考え方や神道の考え方を勉強したりするのは好きだが、神様や仏様が本当にどっか
に居る気はしない。いたらよかろう、とは思うけど。

教育機関で自分の子供が教えてもらう中で、それぞれの宗教の教義に踏み込んだり、
「神様を拝みましょう」
「どうして神様を拝むんですか?」
「神様は尊いからです。」
というのを学校でやったりっていうのは確かに抵抗がある。しかし、宗教という存在を教えること
くらいできるんじゃないだろうか。

あくまで客観的に、神道と言うのはこういう起こりで、こういう史実や伝説があって、このような
儀式があって、このような施設(神社など)が、国内にはこのように存在していて、世界的には…
というような宗教基本データくらいは小学校ででもカリキュラムに入れることはできるんじゃない
だろうか。

同様な事をキリスト教、仏教、イスラム、ヒンドゥー、そのほかのさまざまな宗教も、神様エライ、
仏様スゴイ、っていう信仰の部分を除いて、できるだけ具体的に公平に、どういう宗教なのだ、
ということを教える。

その知識に基づいて、たとえば家の宗教に触れて、菩提寺にお参りをしてみて、神社に行って、
教会に行って、神様や仏様の尊さが次第にわかる人になる、というのはだいぶいいんじゃないか
なぁ。

そんな教育が受けられれば、それぞれの宗教が生活に根ざして社会的な禁止事項や常識に
基づいて宗教活動に繋がっていることも理解できるだろうし、低下しているって言われる社会の
モラルにも反映するんじゃないかなぁ、とか思ったりする。

それもいけないことなのかねぇ。

今ハタと思いついちゃったんだが、あらゆる宗教を公平に、とか言ったけど、教えて欲しくない
宗教もあるな、僕にも。やっぱいろいろと難しいんだろうねぇ。
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